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2009年12月11日 (金)

国連宣言と東京裁判

アイヌに対する国連決議も終戦後の東京裁判との現代議論に共通点を感じるのは、私だけだろうか?

「アイヌ民族を先住民族とすることを決める決議」も同じである。どれも「当時の時代背景や社会情勢と諸外国との密室な関係が蔑ろに論議されている。」

先住民決議は、何故に「まともに論議もされない状態で可決」されたのでしょう。全会一致とは、なっていますが、この可決された答えは、数年後に必ず「日本人とアイヌの子孫」との間に「対立と差別の構図」が確立される。この構図を招いた政治家S・Mの責任は、何れ問われる事は間違いないだろう。国連決議も同じだが、今後、論点が多面化するほどに協会の利権に推進し歴史を湾曲させた教授やアイヌ屋も同じ末路に立つのだろうが、それに巻き込まれる「アイヌ系日本人が多くいる」ことは、連中の頭には無いだろうが。あまりにも不可解な争点で「擬似民族と文化を、でっち上げる、政治と利権」に翻弄されるのは、迷惑な事である。似非民族と書いたが、私が言うところの「似非」とは、定義を持たぬ協会の体質を指す。自分が「アイヌと自覚しコミュニティーが認めるとアイヌである!」と公言している以上、歴史を自らが否定しているのと同じだと思う。

これは、似非同和問題と一緒ではないだろうか?それを自らが羞恥心も無く公言する輩が多いのには呆れる。アイヌという存在を否定してはいないが、政策を受ける求めるというのであれば考古学的・人類学的観点で「明確な主張」を述べてはどうだろうか?

二風谷というところに「日本人の夫婦」が、協会員として認められた事実がある。ただ単に「アイヌ文化に興味を持ち」二風谷に移り住んだ夫婦を協会員としている。この事実は、他にも沢山あるが、全く関係ない者までも「アイヌ」とし同じ政策の傘の下に入れる矛盾を、いまだに繰り返している状況で「何を主張したいのだ?」

アイヌに興味を持ち北海道に住むのは文句はないが、それが何故に協会の一員としてウタリ対策を受けるのだ?又、何故に協会も認めるのだ?自称アイヌが罷り通り、就学資金も住宅購入資金も返済しなくても道や市の予算を横領しても、お咎めなしとなれば、確実に数年後には、北海道の人口が、爆発的に増えるのではないか?そうした腐敗を見ながら「アイヌの過去は可哀想だから・・・・などと言う安い自己陶酔で短絡的見解を作り上げてきた大学教授」の責任は、武器を持たぬ文化的虐殺だと私は感じている。

人種と民族の定義の、「ごった煮」が、アイヌというのか?大変な御都合主義である。独自の文化を守ると言うのであれば、協会としての定義の確立を明確にし似非を排他するべきではないか?(今では不可能な状態だが・・・・・・)

明治時代にあった、双方の事実を私も知らないわけではない。だが、誇り高いと自負するアイヌ屋と慈悲深い教授屋と領土返還問題に燃える政治屋は、過去の負を拾い集めて、現代に作り上げた「自らの負」を持って公の場で討論出来るのだろうか?極めて閉鎖的なコミュニティーで、胸を張っているようで、こそこそしているアイヌ屋等に出来るわけがないが、何れ招待するので「誇り高いアイヌ」は、壇上に上がって熱弁をお聞かせ願いたいものである。

植民地支配だ同化政策だと全てを有罪の如く「アイヌ屋」「和人に土地を売った覚えも貸した覚えもない」と遠吠えする「アイヌ屋」法的には等しく同じ国民とされながらも一部、強い差別を受けたのも事実ではあるが、戦後にGHQが協会に北海道独立を打診して、「北海道独立を断り日本国民としての道」を選択した事実と当時の先輩達の想いを平然と無視してアイヌを生きる道具とし利権の糧としているそこには「民族の誇りなど微塵も存在しない。」

多くの側面から、自らが論議を公開し、論議を求め政策を求める中であっても「決議」という微温湯に浸かり特権を構築するのではなく、法的根拠と法的処罰も自らの「アイヌ」という自称に責任を持つべきである。

民族の自立と言うが、ならば*先に書いたように政策に関する「処罰」という責任感。*アイヌの宗教観の伝承保存には政策を一切受けずに自らが構築する。*子孫と言う者達に言語などに対する教育や生活支援政策を受けさせる場合その終わりを作り独立財源での独り立ちを何年後にはすると言うぐらいの約束を確約するべきである。本当に自立や独立を考えているのなら「自らが示すべきである。」

差別被害者感に胡坐をかいて政策安住のアイヌは、アイヌにあらず。戦後、戦勝国が押し付けた価値観に陶酔して自国の中だけに責任を求めて本来持っている国や歴史の価値観までも否定していては、本当の事実が見えないのと同じである。アイヌが受けた差別の戦いの中で、先人達の多くの思いと北海道の開拓の歴史を共有してきた子孫とも同じ言語を使い生活しているのである。歴史を否定し、当時の政策と世界情勢も無視したアイヌ屋の要求は、差別以外の何物でもない。ジェノサイドを受けた民族が、政策によって「新たな差別」の中で衰退に向かい犯罪率も上がりアルコール依存症になる者も増え、極一部がその中で私服を肥やしている現実を「税金で国際交流」しているのだから事実を知っていよう。歴史経過の違うアイヌではあるが、こうした現実も自らが知りあえて厳しい思想を持ち旗印として掲げなければ絶対に民族の自立などあり得ないし北海道特有の知的財産として広く国民に認知される事もないだろう。要求するのであれば、その約束事を公言するべきである。誇りや自覚と言うのは、そうしたところから生み出されるんじゃないのか?少数弱者感で、いつまでも差別をメインに「アイヌ宣言」したところで、傍からは、賞味期限の切れた商品として扱われる日が必ず来る事を考えた方が良い。その時に又「アイヌ」と差別されたと泣き叫んだところで、同じアイヌ系の者も見向きもしないだろう。

政策を求めるのであれば、現在の「腐敗」を、さらけ出し今後の政策に「処罰」責任を絶対に持つべきである。

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