はじめに

2009年6月12日 (金)

自滅後進民族「アイヌ」

現代アイヌの差別開放運動とその実態。

実質のない民族運動と福施対策などの悪用と逆差別。

悪事を露見されると「差別!」と騒ぎ立てるアイヌ団体。

民族の自立を謳いながら「基本的、個人の自立を考えないアイヌ!」

差別を個性と錯覚する「アイヌ」

「差別という言葉に向合わない行政」

現代アイヌが作り出した環境は、滅茶苦茶である。

自己批判をせずに「差別問題で強請」をする「アイヌ」

次世代の新しい差別を自らが生み出している事を自覚するべきである。

伝統保存の一つとして「行政や人の懐」が無ければ出来ない惨めさと情けなさに

奮起するべきではないのか?民族の自立を謳う前に「個人の自立を促すべきではないのか?」同情で物が売れるのも情けで聴いてもらえるのも「一度だけである。」

物事、自己を呪うところから本質は始まる。例えば容姿であったり頭の良さ悪さであったり運動神経の差であったり、千差万別ではあるが、それと如何にして向合うかである。差別と区別を履き違えた「アイヌや行政」に今強く問いたい!今の腐れた体質に自らが血を引く者達が内側に声を大にする時代ではないのか?癒着や馴れ合い、見ていても見ないふり、しらけた運動とアイヌの何とかというアイヌ屋が「アイヌ」の代表のような顔をしている現代アイヌに羞恥心を感じないのか?

ここに書くことは、アイヌバッシングでもアイヌ潰しでもない。現代アイヌに対する強い疑問と怒り、そして今後のアイヌを憂うからこそ「本質的問題」を取り上げる。ゴシップ的要素もあるかもしれないが、社会的問題の一面として捉えて「それらを切り口」として行きたい。歴史認識も大切ではあるが、現代に生き、コミュニケーションの道具も「日本語」である以上、今の問題を「リアル」に考えてみたい。自滅後進の方向性を少しでも変化させ変革の方向に進んでもらいたいとせつに願うものである。

又アイヌに差別を受けたアイヌの人達、アイヌの団体の方針の中で差別された人達、人として好きになり、たまたま好きになった人がアイヌだったがアイヌの団体に虐められた人達、本当に差別に苦しんだ人達、今のアイヌに疑問を持った「人達」そういった人達の声を少しでも聴ける場所にしたいと考える。

先ずは、近日アイヌ民族修学資金貸付問題とアイヌ生活実態調査を最初の切り口として始めたいと思う。

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